赤ちゃんの視線

先日、地域の方向けに開催した
「ポスチュアウオーキング」
姿勢と歩き方のレッスンで

思いがけないことがありました。

ご家族で参加された方がいらしたのですが、
なんと生後2か月の赤ちゃんを連れていらした!

お話聞くだけでも良いので、とお母さん、
泣いたらみますから
と言いつつレッスンを始めました。

講師の先生にお任せで
私はこの日は
写真を撮ったり裏方をするつもりだったので

ベビーカー揺らして
あやすくらいはしますよーと

皆さんが歩くわきにベビーカーをおいてもらい
時々見守り。

久しぶりすぎて
首も座らない赤ちゃんの抱っこは
こわいのでできませんと
手を出さないつもりでした。

最初はぐずりそうになると
ベビーカーを揺らすと静かになりましたが、

だんだんそれではおさまらなくなって
大声で泣きそうに。。

赤ちゃんの顔を覗き込んで
目を見つめると

しっかり見つめ返してくる。

おっ、やるな、という感じ。

きりっとみつめていたと思うと
静かになる。

なかなか気が強そうなまなざし。

そんなことを繰り返しているうちに
いつしか時間がたち

最後に泣き出しそうになった時には
真剣に目をみつめながら

「あと10分だからがまんしなさい!」

と言い聞かせたら、静かになったのでした。

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思いがけない癒し
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ということで、
お母さんは無事にレッスンに参加でき、

終わると小学生のお姉ちゃんが
ベビーカーから軽く赤ちゃんを抱きあげた。

私、こわくてできませんが。。

患者さんとして小さな赤ちゃんを
みることはありますが
余分なところには手をださないんです。。

赤ちゃんなのにたくましさを感じたのも
こんな日常があるからかなと
思いました。

こんなに長い時間、
赤ちゃんとアイコンタクトをとるとは
予想外のこと。

つぶらにみつめてくる瞳は
なんの曇りもなく
澄み切っている。

思いがけずに
癒されました!!

連れてきてまで
参加しようと思ってくれたお母さんに
感謝です。

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コンフリクト研修で
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起こった出来事、言葉などの
客観的事実はひとつですが、

それを挟んで対立する両者、
たとえば患者側と医療者側が
それぞれ異なる日常、経験、
知識などをもとに

それぞれが出来事をとらえ
「解釈」するわけです。

そこに齟齬(そご)が生じるから
コンフリクトとなる。

研修で使っているスライドに
赤ちゃんの視点から
出来事をみているというものが
あるのですが、

赤ちゃんは、何の先入観もなく
ただ起こったことをそのままに
とらえているという話。

コンフリクトのときも
そんなふうにみていく。

日常でも
自分自身が不安、不満、嫌な感情を
持った時にも

真っ白なもう一人の自分がみていると思うと
自分を俯瞰して客観的にみられる。

澄み切った赤ちゃんのまなざしに
そんなことを思い出したのでした。

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ゼロベースでみる
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