〇〇を認めます
医者の好きな表現?に
「〇〇を認めます」
というのがあります。
患者さんのことを
プレゼンする機会は
たくさんあったのですが
学会の症例発表など聞いていても
こういう表現を使っている医師が
たくさんいます。
カンファレンスなどのプレゼンでも
同じです。
以前の上司は、これを聞くと、
「日本語がおかしい」
と怒っていました。
「症状が改善を認めています。」
→改善しています
でいい、
他人事みたいな言い方だ
とおっしゃっていました。
確かにこれはそうですね。
「認めます」、他人事みたいです。
別の例では
「認める」でも良いと思うものもあります。
例えば
CTの画像をみて
「ここに〇〇を認めます」
と言う表現。
これはこれでも
良いのではと思っていました。
「認める」という言葉
「認める」という言葉
正確な意味は
「真実は誰にもわからないが
結果としてはそのように認識できる」
ということ。
CTで確認できるものというのは
「そこにある」と認識しているだけ
それが何かはわからないけれど
「〇〇が認められる」
という事実はある
なんだかわからないですね。。
言いたいのは
検査の結果は
絶対ではないということ
限界もあるということ
そこにあると認識されるけれど
それは何かはわからない
あっても認識されないこともある
ということです。
肺がんが見つかった
以前のレントゲンは?
うつっているじゃないか!
確かにその部位に
今よりずっと小さなものが・・
毎年レントゲンをとっていたら
ある時に大きくなった
癌かもしれない影を認識する
・・認める
その部位をそのつもりで見返せば
そこには何年も前から
小さなかげがあったりするのです。
あくまでその時点で
問題があるものかどうか
認識すべき状態であったか
ということが問題
安易に「見逃した」
と言われても
それはちょっと違う
と医療者が思います。
これは「見逃した」といわれてしまうレベルなのか
そう客観的に判断できるのか
その時点で認めなかったことが
間違いというレベルではない
やむを得ないと判断することもあります。
問題があるものとは認識されなかった
だから認められたとは考えない
その線引きは
難しいこともあります。
病院はどう判断するのか決める
難しければ外部の人にも入ってもらっての調査
最終的な判断が
患者さんと一致せず
紛争(訴訟)になるならやむを得ず
対話の努力は必要ですが
やることをやって毅然と
です。
明らかに誰がみても
そうであるという事実なら
「認める」ではなくて言い切る
そこにある
けれどそれが何かはわからないものは
「認める」でもよい
そこに「認識される」
というだけのことだから
でも私たちはなんでも
そこにある「コト」や「もの」を
「認めている」だけなのではないかなあと
思ったりするのです。
認めているだけ
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