「人生会議」のネーミングはよいなあと・・

不評でわずか1日で発送中止になった

人生会議のポスター

ご覧になりましたでしょうか。

人生会議っていうネーミングは
良いなあと思ったのですが

もしもの時のため
自分が望む医療やケアについて前もって考え、
家族等や医療者・ケアチームと繰り返し話し合い、
共有する取り組み

ACP(アドバンス・ケア・プランニング)
が必要と言う活動があります。

ご高齢のかた
もう回復は難しいというときに
どこまでの治療をするのか

終末期医療のガイドラインでも
ご本人はどうだったのか
何か言っていらしたのか
わからなければ推定意思
さらにご家族の希望

とされています。

医療者として
医療者と患者さんご家族の
間の立場として

亡くなリそうなとき
亡くなってからの
コンフリクトをたくさん経験しました。

医療者としても
どうすべきかの指針はガイドライン
ご自身の意向はわからないことも多く
ご家族も迷う

ご家族がいないこともある
そんなときにどうするのか

以前いた病院では

大改革の一環として
病院内での指針を作成しました。

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ポスターが怒りをかう
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ACPについて

「平成29年度 人生の最終段階における
医療に関する 意識調査結果」で

よく知っている一般の方はわずか3.3%

人生の最終段階(=終末期)における
医療について家族と詳しく話し合ったことがある人
の割合も2.8%しかいませんでした。

そこで厚生労働省が
ACPに代わる「人生会議」という愛称を昨年選定し
11月に公表、普及に乗り出していたのでした。

しかし、そのポスターが

どうしてこうなる?
と私も初めて目にしてびっくりしました。

今にも亡くなる
と言う状況の人
ちょっとふざけた感じにみえる写真

オレの人生やりのこしてないか?

って・・。

こんな状態で考えない
本当に亡くなりそうな方
病気と戦っている方から

ふざけるな!

と怒るのもわかるなあと思うのです。

このポスターをみていると

確かに亡くなるときに
医療の中でどうする?という
表に出るコンフリクトを
みせているけれど

本来の理念はずっと深いこと
死を考えるは生き方を考える

一人ひとりが考えておく
共有しておくこと

と言うのが伝えたいことでしょう。

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いろいろな考え方があるかも・・
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誰が考えたのかなあと思う一方で

本当に最期になって考えた、後悔した
という経験を経た人もいて

共感される方もいるのかもしれません。

もっと早い段階で悩んでいる人
これまでACPを勧めてきた医療者にとっては
ちょっと違う

と思われるでしょう。

そんなこと考えないで
好きなことすれば満足
と言う人もいるかもしれません。

もっとも

きれいな
理念が浸透するように

人生考えようというポスターだったら

こんなに話題になったのかなぁ
と思うと

最初から話題狙い?
こうなることは予測済み?

であったらなかなかの戦略です。

インパクトはありますからね。

人生会議の意味すること

誰にでもあるリスク

リスクではなく当たり前のことかもしれません。

「死」を考えるは「生きる」を考えること。
当然のように考えることも必要。

今を一生懸命、ですが
本当の思いがあるなら
家族に伝えておかないと
困ることになるかもしれません。

自分なりに考えて満足のいく
モノと心の終活

というか私は
先日、本で読んだ
「老活」と言う言葉が気に入っています。

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生きるを考えること
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