オフィス「風の道」の永井弥生です。
皮膚科の医師
元・話題になった大学病院の医療安全管理者。
大きな問題となった群馬大学病院の医療事故を発覚させ
その後3年半にわたって院内改革やご遺族の対応に当たりました。
そして「オフィス風の道」設立。
ちょっと変わった
そして貴重な経験を持つ医師として
人生やり抜くことを考えました。
まずは自己紹介から
私は生まれも育ちも群馬県
群馬県のほぼ中央に位置する渋川市というところです。
父はサラリーマン、母は専業主婦
小学校3年生のときに1年間
温泉とスキーで有名な草津町に住んでいました。
その後、小学4年生の時にはキャベツとスケートで有名な
嬬恋村に移り1年間を過ごしました。
なぜかこのころ
「私は医者になる」と決心したのでした。
まあこのあたりもいろいろありますが
またの機会にいたします。
前橋女子高校を卒業、山形大学で6年間を過ごしました。
卒業して群馬に戻り、群馬大学病院で皮膚科の研修医
大学病院と県内の病院で皮膚科医として勤務、
医師5年目くらいから仕事のスイッチがはいりました。
今思うと
別にいただこうとも積極的に考えていなかったのに
医師9年目で学位をいただけたのは
今につながる
本当に貴重なありがたいことでした。
学位がないと大学で講師、准教授には
なれませんでしたから。。
8年間、県内の同じ病院で勤務、
でも自分自身、このままずっとでよいのか
もっと学ぶことがあるのでは、と葛藤。
2003年、大学病院に戻らせていただき、
皮膚科講師から准教授
その間、褥瘡(とこずれ)の治療など中心として
いろいろと活動の機会をいただきました。
日本皮膚科学会で
女性医師を考える会というのにも関わり始め
その後大学病院から大学でも
10年にわたっての女性の働きかたに関する活動に
関わったのも懐かしいことです。
コンフリクトマネジメントに出会う
2008年から2年間
大学病院の医師ゼネラルリスクマネージャーとして
医療安全管理の仕事に就く機会をいただきました。
その後、女性医師支援部門の責任者となり
いったん安全管理の仕事は離れましたが、
ボタンの掛け違いで医療紛争が起こる、
対話を学ぶ場はないのか?と思うようになり、知ったのが
医療メディエーション
コンフリクト・マネジメントです。
コンフリクトとは
思うとおりにいかがい両者の対立
苦情・クレーム・紛争など
コンフリクト・マネジメント
こういったコンフリクトへの対応です。
主には相手の怒りへの対応
でも怒りには表に出ていない
胸に秘めた不安、不満、葛藤などもあります。
これも含めてもコンフリクト・マネジメント。
患者さんが言えないことも
胸の中にあるうちに
話をして引き出すということです。
すっかり夢中になり
4年間をかけて医療メディエーター協会のシニアトレーナー
となりました。
2011年から、コンフリクトマネジメントのセミナーを
大学病院や群馬県内で始めましたが
でも、実際に何か起こった時には
医療安全の部署にいないと対応できない
実際に役立てられないと思い
2013年、大学病院の医師ゼネラルリスクマネージャーとして
医療安全管理の仕事に戻らせていただくことに・・。
そして、再びこの仕事をする中で
様々なことがあり
このままではいけない
片手間ではいけない
権限もないと無理
と感じました。
2014年、専従の医療安全管理部長としてほしいと
お願いしました。
そんなポストはありませんでしたが
最初の1年は皮膚科准教授のポストを借りたまま
翌年からは総合診療部准教授のポストを借りて
実際にはほぼ医療安全管理部長の仕事を
させていただくことになったのです。
医療事故を発覚させる
部長となって間もなくの2014年6月、
同院における医療事故に気づきました。
ここは詳しくは長くなりますので省略しますが
部長になっていろいろな声が入ってくるようになり
最後にドンと背中を押してくれる話があり
調べてみようと思ったのがきっかけです。
「大学病院の奈落」という
この件を最初に報道した記者の方が
書かれた本に、私は実名で出ておりますが
この事故発覚のくだりの話は実際とは違っております。
ちょっとした立ち話を
違う解釈をされてしまったようです。
安全管理部長という立場なので
資料はすぐに入手でき
調べるとすぐにわかりました。
その後、いろいろとあり
大きな問題となりました。
私の仕事
2017年10月までの3年半、事故調査、病院の改革、
ご遺族の対応などに当たる日々でした。
ご遺族対応は外部調査となった50件
プラスいろいろとあり
コンフリクトマネジメントを学んでいなかったら
できなかっただろうと思う経験。
そして
急がれた院内の改革
膨大な調査のための資料作成
病院側の窓口となり激務の日々でした。
医療安全の仕事を終える
しかしながら2017年9月に
部長職を外れることになり
事務上のポストであった総合診療部准教授に。
ポストも部屋もあるから
いてくれていいんだよ
とはご苦労様ということかもしれませんが
ちょうどこのころ、多くの病院、学会などから
医療事故の話をしてほしいとの機会をいただいていて
とても慌ただしかったので
居場所もあり、時間もできて助かりました。
とは言っても、
そのうちには大学をやめるであろうと人は思うので
さり気に、皮膚科医として来て・・という
お話は周囲からいただきました。
でも、自分の中で
なんだか今は違う!と葛藤。
大学で診療の仕事しても良いし・・
とも言われましたが
内科医として?
しません! ということで
今だから言える
優雅な窓際!?
部長を辞めてから8か月
大学に在籍しました。
でもこの間に、事故の検討の課題で
科研費もいただいていたので論文を5つ投稿しました。
最後のお仕事です。
人生何をやり抜くか?「風の道」へ
この経験をどうやって活かすのかと
考えて学び、行動するうちに
様々な気づきがあり
自分がやるべきことがある、と思い
会社を作りました。
自分の基盤みたいなのがほしいなあと思ったのです。
組織人間だったから
何もなくなるとちょっと寂しいなあと・・。
「風の道」の名前のゆえんは
また後のブログでご紹介します。
講演・研修します!と始めましたが
一歩ずつ広げていくつもりです。
皮膚科医としても
長くお世話になっている県内の病院で
自由のきく形で勤務させていただいており
ありがたいです。
人生を変える大きな出来事でした。
でも、医療界においては
医療安全管理に対する意識も
組織も大きく変わりました。
一つの仕事を終えて
次のミッションがあるはず
「風の道」の始まり
なんとなく違和感を感じたら、
どうしようという不安を感じたら、
行動!です。
思いがけない出会いとチャンスが巡ってきます。
残りの人生、自分が本当にやりたいこと
かつ役立つことをやっていきたい
自分の中のコンフリクト
行動しないとわからないのです。
違和感、不安、ストレス
みんなコンフリクト・マネジメント
出来事も他人も
自分も客観視
自分のためのコンフリクト・マネジメント
自分軸の生き方を考えることにつながると思うのです。
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